月讀宮・元宮司さんとの出会い
ちいろば旅倶楽部の伊勢神宮参拝ツアーで月讀宮を初めて訪れた時のことです。早朝に参拝したのですが、その時坦々とお宮を掃除していたのが当時の月讀宮の宮司さんでした。その時に、お宮の正面に陣取って長々とお経をあげている参拝者に注意されている姿を目にして、「ああ、ちゃんと言うことは言う神職さんもいるんだ。」と感心したのです。
そして、その翌年の伊勢神宮ツアーで月讀宮に参拝に行った時にも当時の宮司さん(谷分さんといわれます)は前回と同じ様に朝の掃除をされていました。
社務所に戻られた谷分さんに思い切ってツアーの参加者の皆さんにお話をお願いできないか聞いたところ、快く外に出てきて、様々な月讀宮のお話から日本人の生き方に渡るまで短い時間でしたがお話して下さいました。
谷分さんは、倭姫宮にもお勤めされていたことや、実は倭姫さんのファンであり、「倭姫の会」を作家の方と主催されていたり、ご自身も歌人として歌集を出されていることも後から知りました。
それ以来、ツアーで月讀宮に訪れる度にお時間がある時はお話をして下さった谷分さんですが、伊勢神宮の神職を定年退職されました。そこで、その翌年からは、ちいろば旅倶楽部の伊勢ツアーで案内人として伊勢神宮を一緒に参拝して頂いたりしているのです。
月讀宮にあった張り紙とカルマの法則
そんな谷分さんがまだ月讀宮の宮司さんであったある年の12月の伊勢ツアーでのお話です。
神社内に昨年までは見なかった張り紙がありました。その内容とは、月讀宮の敷いてある石を持って帰らないようにというお願いでした。きっと谷分さんが書かれたものだったのでしょう。災厄があっても知りませんよというような内容でした。そんなことをする参拝客が増えているのかと考えると残念な思いがしました。
聖地では、石や木や砂を持って帰るのはタブーです。そこで持って帰った人には、災厄が本当にふりかかりるかもしれません。それはその石のたたりなのでしょうか?
それは違うと思います。それは、その人の取った行動のカルマが返ってきただけのことなのだと思うのです。
カルマの法則とは、スピリチュアリストの江原啓之さんが教える人生の地図を持つための「八つの法則」の中の一つとして位置付けられているものでもあります。
スピリチュアルな視点から、私たちに起こる全ての出来事は全て意味があるのだとされます。そう考えると、日々遭遇する具体的な出来事と照らし合わせることで、いろんな理解ができるようになるのです。
カルマの法則の内容を簡単に表現すると、「自分が良い行動をすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが自分に返ってくる」ということです。
カルマというと響きは怖いですが、良いことをすれば良いことが返ってきますから怖いことではありません。今ある状況はすべて、今までの自分のあり方(原因)の結果だということなのです。
石を持ち帰るという行為に対して、決して神さまがバチを与えるのではありません。聖地にある石を持ち帰るという行為の結果が単純にその持ち帰った人に与えられるということです。
石を持ち帰った人はカルマの法則により、スーパーコンピューターをはるかにしのぐほどの正確さ!それが「災厄」という結果になって返って来るのかもしれません。
ちなみに原因となるのは「行い」だけではなく、話す「言葉」、心に抱いた「思い」さえもすべては目には視えない霊的なエネルギーを放ち、いつか自分のもとに何らかの結果となって返ってくるそうです。
神社の石を持ち帰った人の中には、カルマの法則の結果を受けてでしょうか、最近では匿名で石を郵送で返却してきた人もいるそうです。
また、スピリチュアリズムによれば、石や木は人間と同じ生き物であり単なる飾り物ではありません。そして、人間は誰でも最初は鉱物であったとされます。
「鉱物 → 植物 → 動物 → 人間」という進化を遂げているのだそうです。
例えばペットで犬や猫を飼っている人は多くいらっしゃると思いますが、犬や猫たちも人間になるために進化を目指しています。
人間に飼われることによって彼らは成長をしており、人間の私たちも彼らがいつか人間になるための成長の手助けをしているボランティアなのです。
従って、神社の石であれ、ペットであれ、かけがえのない命あるものとして大切に扱わなければならないのだと思います。
本当の神秘とは
特に月讀宮という場所はスピリチュアルな神秘的なパワーを求める人たちが多く訪れることもあり、そのようなご利益を求めるのかもしれません。
月讀宮のご祭神のツキヨミノミコトは、実際には農業と深い関係のある神さまです。
食物が育つには、太陽の力・月の力・水の力が必要です。昔の人たちは、宇宙からのエネルギーを自然と理解していたのだと思います。特に月の動きに関しては、カレンダー化していました。
これが「本当の神秘」だと思いませんか?
神秘的なパワーなど、自分で身につけようと思って身につくものではないと思います。その人自身の考え方や生き方そのものこそが、何れは神秘な力を放つのだと思っています。
ちなみにスピリチュアリズムにおいては「人は霊的存在である」ということが大前提です。
「スピリチュアル好き」の人は、本当のスピリチュアルの意味を知らず、自分の幸せ、神秘的な部分のいいとこ取りで真実を知ろうとしない人たちに思えてなりません。
今回の神社の石を持ち帰る人たちについては、大人の感性を持っていれば、聖地にある石を持って帰るのはどうかしら?と考えるのが普通だと思います。持ち帰って幸せになるという考えは、単なる「依存」です。
聖地にあるものは持って帰らない。本当であれば、聖地を去る際に靴に入ってしまった石ころも砂もちゃんと取り出し、靴のまわりを掃うなどもしたほうが良さそうです。
故意に自分のご利益のために石を持って帰ったなら、あとはカルマの法則がはたらくことを忘れないようにしましょう。