■ちいろば企画代表 榎本祐子
スピリチュアル旅行コーディネーター
総合旅行業取扱管理者・旅程管理資格
人生は旅!たくさんの「経験」と「感動」を積んで、人生を豊かに生きていきましょう!
2012年の東京マラソン

国内旅行業取扱管理者・旅程管理資格
ちいろば企画の「癒し系」。山登りや富士山麓の巡礼ツアー担当。ツアーや交流会でお会いしましょう!

2010年のつくばマラソン
富士山頂上にて

今後は河口湖発着のツアーを生み出していきますのでぜひ、遊びに来てください!
ちいろば企画
榎本祐子・伊東正智
■ちいろば企画代表 榎本祐子
スピリチュアル旅行コーディネーター
総合旅行業取扱管理者・旅程管理資格
人生は旅!たくさんの「経験」と「感動」を積んで、人生を豊かに生きていきましょう!
2012年の東京マラソン
1969年兵庫県尼崎市生まれ。関西育ち。現在は山梨県の富士河口湖町在住。
大阪成蹊女子短期大学英文学科卒業。社会人になってから佛教大学の応用社会学科へ。途中、中国で仕事をすることになったので卒業できず中退。
英会話学校6年、大手旅行会社勤務2年後、マリオット・インターナショナルのホテル、中国雲南省の昆明でコートヤードバイマリオットホテルのシニアセールスマネージャーとして勤務。
帰国後、東京商工会議所の「起業家フォーラム」に参加したことがきっかけで独立し、「ちいろば企画」設立。現在に至る。
両親が大阪から与論島に移住したことから何度も訪れる機会があり、多くの人たちにヨロンの良さを知っていただきたいと思い、当社のスタートはヨロンの健康旅行から始まりました。
アジアが好きで、アジアに住んで食べ物に苦労したことはほとんどなし。アジア料理はマレーシア・タイ・韓国料理が特に好きです。(辛いもの、パクチー超大好きです)中国では重慶の火鍋が好きだったので、ホテルのオーナーから「お金を出すから日本で火鍋の店を出せば?」と、すすめられるぐらいでした。
伊東の影響もあって、修行の1つ?としてジョギングを始めました。現在はマラソンに出場しています。マラソンと玄米食を始めて1年と少しで19キロの減量ができました。
将来は聖地の近くで、海・山・温泉のある地域で暮らすのが夢でした。
2012年7月19日、念願の移住を果たしました。現在は山梨県の富士河口湖町!海はありませんが湖があります。笑 日本を象徴する聖なる山・富士山を毎日見ながら暮らしています。
これからは少しずつ自給自足の生活目指してがんばっていきたいと思います。
1965年埼玉県・川越市生まれ。
北海道大学工学部卒業。大手電機メーカーでエンジニア、外資系コンサルティング会社勤務。その後、榎本が設立したちいろば企画へ。現在はちいろば企画での窓口担当とマーケティング担当。
趣味は走ること。最近はフルマラソンだけでなくトレイルランニングの大会にも出場しています。皆さん、ちいろば企画のツアーに参加して心と魂を磨き、走って心身ともに健康になりましょう!
ちいろば旅倶楽部のツアーでは主に河口湖発着のツアー企画&添乗をしています。皆さん、河口湖に来てくださいね!
ちいろば企画設立までに、アルバイトを含めていろんな仕事をしてきました。
短大を出て最初にした仕事はアルバイト雑誌の広告営業。営業成績は良かったのですがやりがいが感じられず、退社。その後、英会話学校に勤務。
英会話学校ではスチューデントアドバイザーとして生徒さんの英語の勉強の悩みを聞いたり、外国人講師のスケジュール管理、こどもたちの英語劇やパーティーを開くなどしていました。
英会話学校を辞めたあとは海外周遊を1年体験。イギリスの語学学校に通いながら同時に違う国の友だちを作り、イギリスを出国してからはドイツ、ギリシャ、スイス、イタリア人の友人の家へ行ってヨーロッパを周遊。ヨロン島の姉妹都市であるギリシャのエーゲ海にあるミコノス島にも偶然行っていました。
ヨーロッパ周遊後はアジアへ行き、香港、タイ、マレーシア、、ベトナム、シンガポールを周遊。香港とマレーシアには友人を訪れ、タイでは約半年、バンコクにある「ニサ・タイランゲージスクール」でタイ語を習う。
タイ語を習った理由は、ボランティアの仕事に関わりたかったため。タイのいろんなボランティア団体に働きたいと直接訪れて伝えるが、すべて断られる。
そのうちの1人の方(海外のボランティア関係では有名な方)から「もっと世界を見てからでもいいのではないですか?」とアドバイスをいただき、日本に帰国。
日本帰国後は(株)日本旅行で海外手配。それ以外に上司の付き添いで日帰り添乗や国際会議、国際スポーツ大会の受付、海外留学の手配などもする。お客さまと旅行の話をするのが好きで、お土産まで送っていただいたことも。
日本旅行を辞めた後は再び海外へ。東欧、旧ユーゴスラビア、イギリスのスカイ島へ行く。日本に帰ってからは奄美諸島と沖縄を周遊。特に父が定年後に住みたいといっている与論島がどんなところなのかを知るためにヨロンへ立ち寄る。屋久島にも行き、縄文杉まで登る。
大阪に帰ってしばらく大阪府でアルバイトをしているとき某旅行会社に勤務する友人から中国にある外資系ホテルで働いてみないかと声をかけられ、中国渡航を決意。行先は雲南省の昆明。ホテルの上司から連絡後10日ほどで中国へ行く。
ちょうどこの年、昆明では「昆明万博」が開かれるため、世界からたくさんの人が来ていました。私のホテルは万博開幕まで1週間というのにまだ建設中(行く前はホテルはすでに完成し、部屋も満室と聞いていた)という予想もしなかったことにただただ驚く。
ホテルではスタッフ、日本人観光客とのさまざまなトラブルやアクシデントがあり、中国で働くことは大変だと痛感。こんな私の体験談をまぐまぐのメルマガ、「寿命が10年縮んだ中国忍耐駐在記」で書き、まぐまぐからおすすめメルマガにも選ばれる。
ホテル勤務2年目以降になると昆明の日本人観光客の85%以上が泊まるホテルになる。そのうちほとんどの日本人観光客が宿泊するホテルに成長。
観光客以外に普段はお目にかかれないような日本の政治家、官僚、経済界で有名な方たちが泊まるホテルになる。さらに数年後には昆明で一番人気のホテルになっていますが、SARSが影響して廃業。外国人よりも地元の人たちに受け入れられるホテルを目指すことが不可欠であると反省。
中国では他に中国人スタッフに日本語や日本人の考え方、日本人が喜ぶサービス、日本のTV番組を見せるなどして、日本について学ぶクラスを持っていました。
中国で日本語授業をしている時の写真
結婚のため日本に帰国。
海外から帰って思ったことは、日本にはすばらしい文化がたくさんあること。それなのに日本人はなぜか自信がないように見えること。
日本のすばらしい文化を再発見し、目には見えないものを大切にする日本の精神文化を忘れてはいけないと思うようになる。また、体調を崩していたこともあり、健康で元気になるプログラムを企画。
健康で元気になる与論島の健康プログラムを東京商工会議所で行われた「起業家フォーラム」で発表する機会を得る。数百名の前で私のプランを伝え、多くの方からさまざまなアドバイスや、人の紹介をいただくことになりました。
そしてちいろば企画を設立。