出羽三山についてご存知ですか
ちいろば旅倶楽部でもツアーとしても出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を訪れていますが、そこは第32代崇峻(そしゅん)天皇の御子である蜂子皇子(はちこのみこ)によって開山されたといいます。
崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されたため、蜂子皇子は船に乗って北へ逃れました。
ある日、荒波が打ち寄せる絶壁に目をやると、美しい八人の乙女が布をふり、笛を吹き、舞いながら皇子を導いていました。
その地が現在の乙女浦で、そこから上陸した皇子を導いたのが、三本足のカラスで、羽黒山の頂上に着いたと言われています。
蜂子皇子は羽黒山で霊力を得たことから、羽黒山を修験道の山として広めることになりました。
その後、羽黒山を中心とする出羽三山は、「羽黒派古修験道」と呼ばれる聖地となり、現在も篤い崇敬を集めています。
蜂子皇子の肖像画、一見、妖怪のように描かれています。
伝説によると蜂子皇子は、土地の人々の苦しみや悩みに耳を傾け、それらの苦しみを我がことのように背負っているうちにこの世のものではないほど醜い顔になってしまったといます。
羽黒山の開山にまつわる物語には、「魂の美」とは何であるかを現代に伝える、普遍的な知恵がこめられているようです。
聖地によってさまざまな伝説があり、信仰があります。
湯殿山には名前の残る即身仏が数名いらっしゃることで知られていますが、、歴史に名前の残る人以外に、本当はもっと存在しているようです。
そして今も、湯殿山を見守っているそうです。
そのような聖地を訪れるには、このような方たちに失礼のないように、心を正して参拝することが大切です。
どのような聖地なのかを伝説や歴史を知り、私たちそれぞれにとって行くべき聖地を選んでみるといいですね。
修験道と権現
修験というと、山岳に対する畏れや思い、自然に対する畏れや思い。
これに仏教とりわけ密教思想などを取り込んで修験道は成立すると言われています。
修験道は役小角が開祖です。
吉野にある修験道の総本山・金峯山寺の開山が7世紀。
そこに祀られる蔵王権現は神でもなく仏でもなく、「権現(ごんげん)」です、
権現とは、神仏の仮の姿のことであり、仏教的な宇宙観と、神道の特性が融合して成り立ったわが国独自の信仰形態です。
長い歴史をもつ山岳信仰にまつわる神格にあえて実態を与えたものと考えられています。
五来重(ごらいしげる)さんが、修験道について、以下のように言っています。
そのなかには神祇信仰も仏教信仰も陰陽道信仰もとりいれられているが、それは庶民の宗教的要求に合うように変容して摂取されているのである。
だから山伏の本尊や、祈祷や、唱えごとや、お札の符などもきわめて雑多である。
その点が、神官からも僧侶からもきらわれる理由の1つであるが、民衆はドグマにとらわれずに主体的に自己主張するのだし、その主張に合うものならば何でも取り入れる。
従って、修験道は日本人の宗教のすべての要素を包合していると言うことができるのではないでしょうか。
権現信仰を支えた人たち
仏教が民衆のあいだに広まっている時期に活躍した人々を、一般に「雑密(ぞうみつ)」といい、役行者も雑密の1人といいます。
当時活躍した仏教者の多くが雑密と言われる人たちで、東大寺の大仏開眼を仕切った良弁も、葛木山で修行したその弟子道鏡も、みな雑密と呼ばれる人々でした。
熊野信仰は、山野を歩き修行する人々によって支えられていて、それは先達と呼ばれる熊野信仰の案内人やそれを支配下に置く熊野三山の社僧である御師(おし)へと引き継がれます。
富士山は浅間大菩薩が主神で、明治に権現信仰が禁止されるとご祭神がコノハナサクヤヒメノミコトになりますが、山岳信仰の根っこは修験がもっていました。
明治時代の権現信仰の禁止は修験寺の禁止であり、神社か葬式寺の選択を迫られる事態になりました。
神仏習合・神仏和合こそが日本人の信仰
今、日本の宗教界も大きな変化の兆しが見られます。
明治以来、140年を経て今、日本人の心の拠り所であった帰るべき風土と信仰心を取り戻すときにきています。
神仏習合・神仏和合こそが、日本人の独特な信仰の営みであり、世界に誇るべき固有の文化であると世界に認められたのが、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録でした。
そしてこの大きな流れが、神社界と仏教界の和合を助長させたと言われていて、この流れは今後も全国に波及していくだろうといわれています。
熊野が世界遺産登録された理由の1つに、神道・仏教・修験道の3つ違う信仰の道(熊野古道)がそれぞれ存在しあっているということがあります。
外国であれば、違う宗教が同じ国内に存在すると、内戦や紛争につながっています。
日本はそういう意味で、とても特別な国なのです。
帰属する価値観をなくした民族は、滅亡への道を歩みます。
今、日本人が滅亡に向かっているような状況だとするのならば、それは帰属する立ち位置がわからなくなっているからではと、金峯山寺の田中利典さんはおっしゃっています。
私たち日本人にとって、神道だけではなく、仏教も修験道も、長い信仰の歴史があって私たち日本人があるといえます。
神社巡りがお好きな方は神道ばかりに目を向けてしまうことがあると思いますが、日本人が受け入れてきた神道・仏教・修験道について全てを幅広く見ることが大切ではないかと考えます。
天皇の歴史を見ると、仏教を排除したり、仏教を好んで受け入れたりと、天皇によってまちまちです。
ちなみに神道は宗教ではなく、日本人の生き方そのものです。
仏教が入ったとき、明確に仏教と分けるために「神道」という言葉が作られました。それまでは名前もなく、経典は元々存在しない。
一国一宗教の国がほとんどの中、いろんな宗教があるのは恥ずかしく、一流国家ではないと考えた明治時代の日本政府。
こうして日本人の信仰を支えた神仏習合を、法律でなくしてしまいました。
なくなったのは、仏教や修験の寺だけではありません。
神社の多くの鎮守の杜も失ってしまいました。
そこは人々の心の拠り所でもありました。
そこで立ち上がったのが、生物学者・民俗学者の南方熊楠です。
この人のおかげで、熊野三山が現状で済んだともいえます。
日本は日本であるということ。外国がどうであれ、関係の無いこと。
そう思える国になれば、もっともっといい国になるのにと思います。
神社だけではなく、お寺や修験道のお寺なども日本人の信仰であるということを心にとめておきたいと思います。
出羽三山の旅
修験道は明治時代に禁止されましたが、今でも修験道の体験ができる場所が残っています。
その1つが出羽三山です。
ちいろば旅倶楽部の出羽三山ツアーでは、現役の山伏さんの宿坊に宿泊しながら、加持祈祷をしたり、講和の時間には修験道についての学びがあります。
羽黒山、月山は白装束で修験道の道を歩きます。
羽黒山頂上へ向かう杉の道や、鏡の池はスピリチュアルスポットで、敏感な人はすぐにわかると思います。
月山は3つの山の中でも一番スピリチュアルなパワーを持った聖地であると、江原啓之さんはおっしゃっています。
そして、ツアー最後に訪れるのが湯殿山にある湯殿山神社。
羽黒山、月山で修行をした人が最後に訪れるべき霊場であり、行者はここでようやく仏の境地に至ると考えられています。
湯殿山神社のご神体は、まさに「生まれいずる瞬間のエネルギー」
現実の苦しさに疲れたり、今の自分を変えたいと願っていたり、どうしても切りたい縁があったり・・・。
なんらかの形で、たましいの再生を果たしたいと切望している人は、ぜひ湯殿山を参拝してみましょう。
真剣な気持ちで願いを捧げれば、ご神体からあふれ出している再生のエネルギーによって、あなたが新しい自分に生まれ変わるための、大切なメッセージを得られるかもしれません。
日本人が大切にしてきた信仰の聖地へと旅してみてはいかがでしょうか。
出羽三山神社へのと向かう羽黒山の石段、月山神社や湯殿山神社へ続く登拝道を歩いている間はキツイと思うこともあるかもしれませんが、終わったあとにジワジワと感動に変わるのが、出羽三山の旅なのです。