初めて富士山の山頂まで登ったのは2011年の8月のことでした。
富士山麓の浅間神社を巡るツアーを行いながら、浅間大社の奥宮がある山頂まで参拝する機会をうかがっていました。
2011年は日本にとっては試練の年でした。初めて富士山登拝に臨んだのはその年のことでした。富士山頂上では、浅間大社の奥宮で日本の平和を祈りました。
日本には富士山に限らず、多くの霊峰・霊山と呼ばれる山々が存在します。そして、神社の奥宮が霊峰・霊山の山頂に祀られている場合が多いです。
こうして今、日本に聖地が多く存在するのは、その聖地を見守ってきた人たちがいるということです。その人たちが、この世を去ったあとも聖地を守っていると言われます。
ですから、遊び半分、ご利益で聖地に訪れること、霊峰・霊山に登山で登ることは、聖地を守ってきた人たちをがっかりさせ、いずれは「カルマ」となって、自らの行動を反省するようなことがあるかもしれません。
また、人気のパワースポットと言われて多くの人が訪れる場所は、避けたほうが良い場合もあります。しかし誰もが悪い影響を受けるわけではありません。その人さえしっかりしていれば、<波長の法則>で悪い影響を受けることがありません。
ご利益や遊び、悪戯心で多くの人が集まるパワースポットに行けば、悪影響を受けることもあるので注意が必要です。氣を引き締めて、訪れたいものです。
特に、霊峰・霊山と呼ばれる山々に登山する場合には、心構えに加えて、安全面も含めた十分な注意が必要なのだと思います。
富士山登拝で学んだこと
初めての富士登山でも個人で山小屋を予約して登ることはできたのですが、やはり、富士山のことを十分良く知ったガイドさんに案内してもらいたいと考えていました。ですが、大手旅行会社の実施する大人数の流れ作業的な富士登山ツアーは余り気が進みません。
そこで、富士山専門で行っている会社の少人数限定ツアーに参加しました。専門ガイドさんの話す、今まで知らなかった富士山のこと、登山のことがたくさんあって非常に勉強になりました。
そして、参加して思いました。山を侮ってはいけないということです。まして富士山は霊峰、霊場であり、神世の昔から、人の信仰を集めていた山。
ガイドさんから、多くのことを学びました。富士山で亡くなっている人のほとんどが、1人で山を登っている人たちです。
1人で富士山に登ることは出来ますが、初めて登る方は、専門家の人と一緒に登ることがやはり大切だと思います。お金がかかってもそうするべきだと思います。それが自分の命が助かるかどうかの境界線でもあります。
1人でなくても家族で富士山に行って、子供さんが亡くなった話を聞きました。五合目からの登山道で木のところに花が置いてありました。登山中に雷が鳴ったので親が子供をその木の中に隠れるように指示したところ、雷がその木に落ち、子供さんが亡くなったのです。
両親は大泣きして「木のそばが危険なんて知らなかった」と叫んでいたそうです。
ガイドさんによると、厳しいと感じるかもしれませんが、「知らないなら単独で山に登るべきでない」ということになるそうです。または専門家の人に教わりながら、山について知るべきだったと言えます。
登山用のウェアも着ずに薄着をして富士山に登る家族を見ると、子供さんたちが本当に氣の毒と感じます。親の責任は重大です。
6月に富士山5合目まで登った際、遭難して見つからない高校生の男の子の写真がありました。先月になって、遺体が見つかったそうです。この高校生の場合・・・。
1度富士山で遭難を経験しているにも関わらず、2度目の富士山登山では親が富士山の登山口まで車に乗せ、そしてまた1人で登山をさせ、死体となって見つかりました。これなどは、親の問題だと思います。
また、ある若い男性で、自分が世界各地の山登りをしているところをビデオで撮影したものを動画配信サイトにアップするとう人がいます。ガイドさんによると、その男性は運よく死んでいないだけ。ただし、その若い男性に憧れて同じことをして、数名の人が亡くなっているという事実。
下山途中、大きなザックが道に落ちていました。昨年の冬に1人で富士山に登り、雪解けと一緒に死体とザックが発見されたもの。
死体は処理されたのですが、荷物はこれから処理されるそうで、今もそのまま見つかった場所に置いてあります。
そのザックを見たとき、いつ自分が同じ状況になってもおかしくない。山を侮ってはいけない。自分を戒めなくてはいけないと思いました。
私たちと同じツアー参加した人の中には、以前富士山8合目で引き返した人がいました。そのときは1人で登ったそうです。
でも今回は、親に注意されてツアーに参加したとのこと。専門家に指導を受けながら歩き、同じツアーの人と声をかけながら歩いて、頂上では感動を共有できたことが良かったとおっしゃっていました。
生半可な気持で山に入ってはいけない。ガイドさんから多くのことを学んだ初めての富士山登山でした。
富士なる山は、神の山。神の降りられ、留まる山なり。
さなる尊き山なれば、人はこぞりて登るを望み、生涯一度は頂上目指し、二度も三度も登るものあり。
富士の霊場、霊験あらたか。なれば氣を付け、心するべし。
軽き悪戯、遊び心で、山に登りて、分け入る者は、ときに怒りを、祟りを招かん。
富士には尊き神もあり。なれど卑しく心低き、呪いの渦巻く地帯もあるらん。
なれば心に罪溜めし者、卑しき思いの、願いの者は、容易に祟られ、乗り移られん。
よくよく氣を付け、心改め、心の次元をさらに高めて、神聖なるのみ、入るを許さる。
『神誥記』ひふみともこ記 より
登拝の前には心を高め準備を怠らない
富士山だけではなく、他の山でも同じです。信仰の山には、私たちの目にはうつらずとも、さまざまな神さまやご眷属、その地を守る人たちがいる。
山を征服する等という単なる遊びだけで登るのではなく、心引き締めて、登らせていただくという謙虚な気持を持つことが大切です。
上記のひふみともこ先生のことばにもある通り、富士山には良い神様もそうでない神さまもいらっしゃる。
そうでない神さまと波長が合わないようにすること。山に入る前に心を高めることが大切。山へ入る前の心構えや準備がとても重要です。
ツアーで山に本格的に登るものとしては、出羽三山ツアーの時の月山登山があります。
まず第一には、登山の準備をキッチリとして正しい心構えを持って参加することが重要です。そして、その上で更に、心を高めて山に入らせていただこうという次なる心の準備があります
出羽三山ツアーでは本物の山伏さんが先達となり「修験道体験」をしています。正式参拝、護摩焚、出羽三山や修験道、山伏に関する講和。きっちりと心構えをして出羽三山を参拝しています。
これから霊峰・霊山へ登山をする方は、単なる遊びで山へ行くのではなく、山にはたくさんの人たちの信仰の歴史があることを忘れずに。安全無事に登山するための準備も忘れないことです。
行く前に氏神様の神社にご挨拶をしたり、登山する山に関連する神社にご挨拶するなどして下さい。そして登山後もお礼参りを忘れずに!
初めての富士登山の時には、近所の浅間神社さんや氏神様にご挨拶をし、富士山5合目にある小御岳神社に登山前に参拝し、そして、登山後に御礼を伝えました。
霊峰・霊山へ登拝(登山)する時には、山へ入らせて頂くという謙虚な気持ちと、山頂の奥宮まで登らせて頂いたという感謝の気持ちが非常に重要だと思います。