神と共に、先祖と共に、霊と共に、この世の行を、積まねばならぬ
『神から人へ』ひふみともこ記
スピリチュアルな視点からのこの世の様々な学びは自分だけのためではなく、ご先祖や目には見えない存在たちにとっても学びとなり、助けとなります。それは何も霊感の強い霊能者だけに限ったことではありません。全ての人が目に見えない多くの存在に見守られています。
目には見えない存在の方々も、実は私たちの日々の暮らしを見て一緒に学び、行を積んでいます。そうやって自分の魂を日々磨いていき魂の成長となることが、神さまにとっての喜びとなるのだそうです。
東日本大震災後、東北で行われたスピリチュアリストの江原啓之さんの講座には、津波で亡くなった多くのたましいが参加し、江原さんの話を聞いて家族にさよならを伝え、浄化してあの世へ向かわれたと聞きます。
自分だけが生きている、この世で修行をしているのではない。そうした意識を持って、日々の暮らしを生きることが大切なのだと思います。
自然災害の意味
2011年には台風12号の影響で、特に熊野地方では大きな被害がありました。
その時、ちいろば旅倶楽部の熊野ツアーで訪れている新宮や那智勝浦、そして十津川村の被害状況が何度もTVに映し出されました。
既に2011年は東日本大震災での津波があり、多くの犠牲者を出していました。そして、震災後も原発はまだ収束していない状況が続いていました。これほど多くの災害が続くことに、私たちは真剣に原因を考え、警戒する必要があったのだと思います。
ハワイ島に関するあるDVDの中で、フラの神さまとも言われている男性が津波について言及していました。
「津波は警告だ。それは<大地を大切にしろ>という意味だ。」
2011年に福島第一原発の事故の影響で、日本の土地は放射線で汚染された地域が出てしまいました。いろんな地域で何年にも渡り汚染状況が報道されてはいますが、いつその影響が無くなるとも分かりません。
私たちの生きる糧は、大地から生まれます。
日本人はまだまだ自然のお恵みを産み出してくださる神さま・仏さまに感謝が足りないのではないか。私などはそう思ってしまいます。
人は皆、見えない存在に見守られて生活しています。霊感の強い方はある程度それを感じ取っているかもしれません。しかし、私たちに常にそのメッセージが届いているのにもかかわらず、多くの場合、我々はそれに気付くことがありません。
人間の力で何でもできると思ったら大間違い。科学ですべてを解決することなどできません。そして大地を地球を宇宙を破壊する原発をどんどん造ってしまった。
原発が現在の生活を豊かにする一面もあるのかもしれませんが、核のゴミである放射性廃棄物を未来の人達に押し付けることで成り立つ現在の豊かさとは一体何なのでしょうか。
この最悪な状況から私たち日本人は、どこまで困難を乗り越えることができるか。日本人として霊性を取り戻せるのか。神さまは私たちを見ていらっしゃることでしょう。
富岡八幡宮で行われていた「ひふみ友の会」で、ひふみ先生は以下のようにお話されていたことがあります。
今ここで日本に地震を起さなければ、日本人は目覚めない。
困難を乗り越えた時、私たち人間は昇華される。
元々、奥底にある霊性が高い日本人。神の望む優しさとは、人の不幸を己も苦しみ、共に悲しみ、分け合うこと。
大震災、台風の被害で亡くなられた方々が浄化されますように。
亡くなられた方々が、そして、目に見えない存在が、日本を見守っていてくださるためにも、日常生活でも、そして、聖地に訪れる際は慰霊の気持で祈り続けたいと思います。
日常生活で大切な内観の時間
ちいろば旅倶楽部の聖地巡礼ツアーにご参加いただくのはもちろん大切!
ですが、私たちの普段の日常生活の「行」も大切です。
なぜ、私たちは生きているのか?
それは、私たちの魂の成長のためです。
普段から様々な学ぶための機会に積極的に参加をしている方、そして、東京や関西等で行われているひふみともこ先生の講座に熱心に参加している会員さんもいらっしゃるようです。
そうした学びは、とても大切ですね。
なぜなら、学ばないことには、理解をすることができないからです。
そして学ばないと、私たちは忘れてしまいます。
学んでいるのは私たちだけではなく、「目には見えない存在」の人たちやご先祖も、私たちの問題や困難、苦しみを一緒に見て体験しているということ。共に学んで行を積んでいるということです。
そしてどのような問題も、困難も、<自分で氣付く>ことがとても大事だと私は思っています。
気軽に霊感の強い霊能者やスピリチュアル・カウンセラー等に相談する人もいらっしゃるでしょう。そのお気持はわかりますが、自分で内観する努力をしなければ、<依存>ばかりが強くなってしまいます。
私も未熟者で学びが必要ですし、日々内観をしています。そして同じ過ちを何度も繰り返しており、自分自身が情けないと思うこともあります。
そんな自分でも書籍を読んだり、講座に参加したりしていると、自分にピンポイントなメッセージを得ることがあります。神さまからのメッセージである神社のおみくじも、まさに同じです。
大切なメッセージは人から運ばれることが多々あります。それを、「でも」「だって」と無視して自分の我を通していることがあるかもしれません。
いろんなアドバイスの中には、自分を試されているような内容だったり、まさに自分にとって痛いけれど、核心をついた内容だったりとあります。
いずれにしても他人からのメッセージは、私は聞くようにしています。
日々の暮らしが<実践の場>であり、<修行の場>。
例え霊感がなくとも、毎日を坦々と心豊かに、そして多くの経験と感動を積みながら、喜怒哀楽を体感していきたいと願っています。