神社のおみくじは神様のメッセージ
仕事や家庭生活の中で、今、自分が悩み抱えている問題に対してどうしてよいか分からず、何かの解決方法の糸口が知りたくて1人でもがき苦しむことが誰でもあると思います。
そんな時には親しい信頼できる人に相談したり、本を読んで一人で考えたり、最近はネットで調べることもあるかも知れません。
そして、神社に参拝し、「おみくじ」を引いて神様からのメッセージを受けて、その内容を問題解決のヒントにしたいと思うこともあるでしょう。
神社を度々訪れる人の中にはそんな人がきっと多いのだと思います。
ちなみに、おみくじでは、引いたものが「大吉」なのか、あるいは「凶」なのかということはほとんど問題ではありません。おみくじに記してある内容を、今の自分の状況に当てはめてみることの方が重要です。
そして、それには参拝する前に神様にお聞きしたい内容をしっかりとまとめて、「私に必要なメッセージを下さい」と祈るべきです。
意識を集中させることで、その後引いたおみくじの内容の中に自分の今抱える問題の解決方法のヒントがあるのに気付くことができるに違いありません。
神社に訪れて無造作に手を合わせておみくじを引くだけでは「大吉」か「凶」かしか目に入らないことでしょう。おみくじの中に神様からのメッセージを期待するためには、神社参拝の前から自己内省と問題点への意識の集中が必要となります。
神社の「おみくじ」は神様からのメッセージとして受け取ることができます。自分の神社参拝の時の意識次第ではその内容から大きな気付きを得られます。
また、一方では、神様からのメッセージを神社のおみくじではなく、霊能者等の特別な存在に求めることもあるかも知れません。自分自身を霊視してもらうことで、霊能者の言葉を神様のメッセージとして受け取り、悩みを解決しようとする人もいると思います。
しかし、「おみくじ」であれ「霊能者の霊視」であれ、それらの言葉を自分自身でどう受け取るかといことが非常に重要です。
自分の人生をこれからも生きて行くのは他でもない自分自身なのですから、自分の判断と行動のみが人生を推し進めていきます。
おみくじの「吉」/「凶」で一喜一憂をするのではなく、その内容を深く洞察してこれからの人生に具体的に活かしていくべきですし、霊能者の言葉であったとしても全てを文字通り丸呑みするのではなく自分自身で日常生活に常識的かつ現実レベルに落とし込むべきです。
神様のメッセージはより高次元から訪れるのだとしても、我々が生きているのは現実世界なのですから。
この世は神様からのメッセージで溢れている
神様からのメッセージは、神社のおみくじ等に限らずこの世界のあらゆる場所に溢れています。目に映る全てもの、耳から聞こえる全ての声、人生で出会う全ての人々が神様からのメッセージをもたらします。
そして、それに気付くことができるかはその人次第ということになります。
多くの場合、神様からのメッセージは他人を通して入って来ます。
例えば、自分で自分自身の嫌な所がはっきりと分かっているけれど、それがなかなか改善できないでいる場合があります。人に迷惑をかけていて、これではいけないことは認識できていても、受け入れることがどうしてもできないでいる。自分自身の嫌な部分に直面するといつも逃げてしまう。そんなケースは以外に多いのかも知れません。
そんな時に、そうした自分の至らないところを、言いにくいにも関わらず言ってくれる人が現れることがあります。「何故この人がこんなことを自分に言うのだろう?」と不思議に思う様な場合です。
自分は耳が痛いのですが、本当のことを指摘された瞬間です。
「認めたくない自分の嫌な部分に向き合いなさい。」その人を通して、自分へのメッセージが届けられたのだと分かります。
霊能力がなくても自分に伝えられるべき大切なメッセージは、人を介してだったり、書籍や映画、夢から得られることがあるのです。普段何気ない瞬間にいきなりインスピレーションを得る場合もあります。
また、ここで、指摘されたことに腹を立てて、その人を恨み返す様ことは本来するべきではありません。せっかくの自分自身と向き合う機会を今与えられたのに、それを無視するようなことがあれば、後になってから、何度も同じことが起こり得ます。そして、それが乗り越えられるまで続くのです。
他人を通して入ってきた「神様からのメッセージ」を受け入れることができなかったとしても、これは良い悪いの問題ではなく、自分が成長できるのが今なのか、まだこの先まだなのかという時期の問題に過ぎないのです。
何れにしろ、言われたことに腹を立てるのか、それとも自分へのメッセージとして内観するのか。どんな時にも自分を内観できるようになりたいものです。
そして、「今度こそは受け入れることができた」と自分で思ったとしても、次にやってくるのは、「お試し」です。
「全てを受け入れます!」と誓った瞬間に、「また来た!あ~、試されているのだな」と実感する様な自分の嫌な部分を直視しなければならない事態が連続的に起こったりします。
自分の嫌なことに直面するのは辛いですが、それは、自分の魂を磨くための大切なレッスン。
それを乗り越えられるかどうか。神様は見ていらっしゃる。
乗り越えられたら、自分の魂は少しでも進歩することができます。
出来るまで何度も何度もお試しがやってくる。
今、厳しい状況の中にいる方は、問題を乗り越えられるかどうかを見られている、試されているんだと思いましょう。
それは神様に愛されている証拠。
私たちには、乗り越えられない問題は与えられないといいます。
神様のメッセージは常に我々に届いています。
それに気付くことができるかどうかは、自分自身の意識次第です。
大切な神様からのメッセージを受け取るためには
自分へのメッセージが届けられる場合、わかりやすく、ベストなタイミングでまるで図ったかのように届けられます。
しかし折角届けられたメッセージも、受け取れないことがあります。
それは、その人の心が曇っているから。
人を憎んだり、嫉妬したり、いじわる、悪口を言う。不平、不満。
感謝がないなど、神様から心が離れた状態。
頭の上に太陽がどんなに自分を照らしていても、自分の上に大きな雲がかかっていたら、太陽の光は自分に届くことがありません。
太陽の光(神様のメッセージ)を受け取れるようになるには、(自分の心の)曇りをはらうことが大切です。
言い訳をせずに素直にメッセージを受け止め、その内容について内観する。
そして、今までの自分自身を反省し、これからどうやって変わっていくかを深く考え、日常生活で実践できることを継続していく。
そうして乗り越えた場合は、自分の魂が少し前進したことになります。
この世の中は神様からのメッセージに満ち溢れています。
日常生活において、「あっ、これは私に言っているな。」と思う様なことがあれば、どんなに腹立たしいことであっても謙虚に受け止めて内観してみましょう。
そして、そのメッセージに感謝して、自分で受け入れて、昇華し手放して、更に先に進んでいきましょう。