神社参拝ツアーを行っている中で参加者の皆様から一番多い質問の一つに、
『身内に不幸があった場合、喪中の間は神社へ参拝してはいけないのでしょうか?』というものがあります。
現代でも肉親が亡くなった場合には新年の年賀状を出すのを控えたりすることはありますが、果たして神社に参拝に行くことも避けるべきなのでしょうか。
あるいはまた、『喪中は神社に参拝に行っても鳥居をくぐってはいけないのでしょうか?』という質問もあります。
この様に、人の死に当たり、神社参拝をタブー視することが従来よりある様です。
確かに神社は神聖な場所ですが、では、身内に不幸があった人をまるで神聖な場所に相応しくないかの様に考えることは、どんな理由からきていることなのでしょうか。
喪中に神社参拝してはいけないとされている理由
従来より神道では、死は「ケガレ(穢れ)」と見なされていました。
お葬式が出たら神社へ行ってはいけないとされたのも、おそらくそのためであるということが考えられます。
神聖な場所から穢れを遠ざけておきたいということでしょうか。
また、このことには昔の衛生事情も関係しているようです。
医療技術や衛生管理が十分でなかった昔は疫病等で命を落とす人が多く、その疫病の伝染を恐れてその家族が不特定多数の人々が集まる神社からしばらく遠ざけて病原菌が広がるのを防ぐためだったのかもしれません。
更に、忌中は故人を偲ぶことに専念する期間であるとして、神社への参拝やお祭り、結婚式などのお祝い事への出席は控える様にし、更に家庭の神棚にお参りすることも避けるのが慣例とされることもある様です。
人の死が悲しいものであり死で全てが終わるという考え方であれば、喪中という期間を設けて一定期間を喪に服すことは社会的にみても一番賢明なことかのように思えます。
しかし、人の死がそうではないもっとポジティブな一面を持つことを考えると、従来とは全く違った捉え方ができるのです。
人の死は新たなる始まり
スピリチュアルな視点から捉えると、死は次のステージに向かう1つの通過点に過ぎず、決して忌むべきことではありません。現世の卒業とも言えるかもしれません。
スピリチュアリストの江原啓之さんの書籍『スピリチュアルタブー・ブック』によると、死は「ケガレ」であるというのは昔の神道から生まれた古い迷信であり、喪中のときこそ積極的に神社にお参りに行くべきとあります。
医療技術や衛生管理が発達した現代では、昔の様な伝染病の心配を氣にしなくてもよい時代になっています。
そのため、喪中のお参りもいっこうにかまいませんし、むしろ積極的にお参りに行くべきとされます。
また、「喪に服しているときは鳥居をくぐってはいけない」というのも迷信です。
鳥居には、お祓いの意味があるので、喪中にこそくぐるべきなのです。
大切な人を失くした悲しみの念や、長かった看病や葬儀の後の疲れを神社で祓って頂けるのが喪中の神社参拝と言えるのです。
喪中こそ神社参拝を
喪中には神社へお参りする行動を控えるのではなく、人が亡くなった時だからこそ、神社に行って亡くなった人のことを考えたり、あの世で元気に過ごしていますように祈ることが大事です。
神様が「この人は喪中だから神社に来てはいけない」なんて思うはずがありません。
真摯に参拝する人であれば、どんな人でも受け入れて下さるはずです。
ですから、喪中であればこそ、むしろ神社で亡くなった方のことを考えて、残された者は大丈夫ですので安心してあの世に旅立たれますようにと、神社参拝と共に亡くなった人のことを祈ることの方が大切なのではないでしょうか。
(参考文献)
江原啓之著『スピリチュアル タブー・ブック』(マガジンハウス)