桜と人の一生
桜の咲く時期に、静岡県・富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社にツアーでも何度も訪れています。そこでは、一年に一度の桜の散る風景が本当に美しいと感じます。
毎年春になると桜は咲き誇り、散ってゆく。人間の生命と同じと実感します。
私たちも生きている間に精一杯美しい花を咲かせ、桜のように美しく散っていきたいものです。
そして、生まれ変わって魂をさらに磨いてまた美しい花を咲かせる。そんなことの繰り返し。まるで人間の輪廻転生のようです。
桜が日本人の心を強くひきつけるのは姿が美しいだけでなく、桜の中に人の生き方が映し出されているからかもしれません。
富士山をお守りするための浅間神社のご紋は「桜」。
桜が咲き、散る様子は、人の一生、生死をあらわしているかのようです。
私たちは皆、1人で生まれ、1人で死んでいきます。
孤高な人生とは
「孤高」という言葉をご存知ですか?
似たような言葉に「孤独」がありますが、意味は全く違います。
孤独・・・自分自身の責任、怠惰。
孤高・・・自立した生き方。自分を中心に按配を考える。人との付き合いも腹6分。自己責任。
人は皆、孤高であることが大切です。それが幸せな生き方なのだと、スピリチュアリストの江原啓之さんは言われます。
孤高に生きられるかどうかの一つの目安として、1人旅ができるかどうかだと思います。
ちいろば旅倶楽部のツアーは団体旅行のようですが、実は1人旅ができる人が参加するツアーです。
ツアーは現地集合・現地解散。
これができないという人が実は多いのだと思います。
連れて行ってもらえないと嫌だという人も意外に多いです。
しかし、現地集合・現地解散のツアーはいい旅のスタイルだと思っています。ツアー周辺で他に行きたいと思うところがあれば、ツアーの前後に足を運ぶことができます。
ツアーに参加される方々の中には、実際にそうして足を運ぶ人が多いです。
そのような人は、孤高に生きられる人だと思うのです。
テレビ番組で「孤独死」に関する特集をしていたことがありますが、「孤独死」とはいわず、「孤高死」と表現する方が良いのではないでしょうか。
「孤独死」という言葉は、1人で死ぬのが悪いイメージを必要以上に与えているように思いませんか?
死んでいくときは誰でも「1人」なのですから。
エンディングノートと孤高な人生
1人で生きている人は自分の身の回りをなるべく整理し、自分が亡くなった後にはどうすればいいかを誰かに分かる様に残すことで、他人に死んだ後まで迷惑をかける事が少なくなるのだと言えます。
このような自分が死んだ後のことを詳細に記しておくノートのことを「エンディングノート」といいます。
エンディングノートは大手文房具の会社でも作っています。
1人で生きようが、周りに家族がいようが、誰に依存することなく、皆が孤高に生きて孤高に死ぬ準備が必要。
1人旅ができる人は、自分の行きたいところへどう行くか、そこで何を食べるか、自分の思うところに焦点を当てて、考えて行動することができます。
このような人は一時は孤独な気持ちになったとしても脱却できるタイプの人です。
自分から行動を起こしていろんな人の輪に入っていくことができるからです。
寂しい、話をする人がいない。ひとりぼっちで友達がいない。
このような人は「孤独」な人。
自分から声をかけよう、行動を起こそうという気持ちがないのは怠惰であり、依存心。
悪縁はあなたの依存心が引き寄せます。
人間関係のトラブルは依存心から生まれます。
孤独から脱却すること。
みんな、心丈夫に生きていくことが大切ですね。
孤独から脱却するためには、なんでも自分でこなせるようになること。
あなたの持ち物をなるべくミニマムにする。
あなたの人生、自己責任でやれるようにする。
人に依存しない。
江原啓之さんが言われる「孤高な生き方」のための大切なこと。
1.自分自身の人生を素材としてどいういう人生がいいのか何ができるのかを定めなさい
2.自分の喜びを知りなさい
3.自分の聖地を持ちなさい
4.自分の学びを知りなさい(どういうカリキュラムを持っているのか)
5.自立を目指しなさい(孤高という生き方は幸せ)
6.自分自身のできることはする。それ以外は依存
自立して込めて生きている人は、必ず何とかなるのだそうです。
今から孤高に生きる準備をしましょう。
「エンディングノート」は既に書きました。
あとは、人に依存しない様にがんばりたいと思います。
人は自分自身が気づかないうちに「依存心」から出た発言、行動をしてしまいます。
依存からさまざまなトラブル、悪縁が生まれることを肝に銘じ、孤高に生きられる自分になりたいと願っています。