「お金」については多くの方々が様々な認識を持たれているかと思います。
「お金」とは日常生活を続けていく上では欠かせないものであるし、無いよりはあった方が良いものです。
ただ、余りにもお金に執着し過ぎると、逆にお金に振り回されてしまうことになります。また、お金を稼ぐためだけに人生の全てを費やすのも辛いことですし、お金を貯めるばかりで余りにケチケチした生活も息苦しいものです。
一方で、お金の使い方についても様々だと思います。
人によっては得た分をそのまま無くなるまで使ってしまう人もいるでしょうし、節約生活の末にお金を溜め込む人もいるでしょう。
全て計画的に人生の目標に則って、収入から貯蓄・支出までをバランスよく管理することができれば、それが一番望ましいのですが、通常はなかなか思う様にはいきません。
近年では収入の伸び悩みから支出を抑えたり、貯蓄を切り崩すというケースもあるのではないでしょうか。
そもそも、人は何のためにお金を稼ぎ、何のためにお金を使うのでしょうか。
お金とは自分の生活を継続させるため、あるいは、我欲を満たすための「お金」という意味の単純なものなのでしょうか。
人は年齢を重ね人生経験と共に、お金というものは一体どういうものなのか。そして「どの様に稼ぎ、何にお金を使うべきなのか?」ということが分かってくるものだと思います。
お金の使い方について、過去の自分を振り返りながら、もう一度考えてみても良いかもしれません。
お金を稼ぐその動機が大切
お金を得たいという気持は誰にでもあると思います。ですが、そこで問題となるのは「その動機」です。
その動機が自己満足だけの閉じたものであれば、それは我欲でしょうし、逆に少しでも自分以外のもののためにお金を得たいというのであれば、それは我欲を超えたものになると思います。
例えば、
・家族が仲良く過ごせるためのマイホーム
・将来の(利他的な)目標のために行く学校の費用
・人が笑顔になる仕事がしたいから、会社設立 等々・・・。
これらは我欲を超えるものに繋がります。
しかし、
・我欲のために物を手に入れ、増やそうとする動機。
・努力をすることなく、簡単に物質金銭を手に入れようとする怠惰な心。
これはら我欲であり、そこから何ら発展しそうにありません。
以前、ある女性から相談を受けました。「自由な時間が欲しいので、お店を持って独立したい。」よく話を聞くと、自分が楽をしたいから独立したいということでした。
自由であればあるほど厳しい現実に直面します。その覚悟があるのかどうかを彼女に伝えました。
スピリチュアリストの江原啓之さんのおっしゃる、「魂の成長を高める3つ」のこと。
1.親になること
2.上司になること
3.独立すること
どれもままならないことばかりです。その中でも「独立すること」は、一番の難行と言われています。そして、江原啓之さんによると、この世で一番の罪は何かというと、「怠惰」なのだそうです。お金を得るには勤勉が肝心ですね。
動機次第では、神様もきっと協力して下さるはずです。
いつも自分の動機をチェックすることが大切だと思っています。
神様の「金銭」に関するメッセージ
神様の喜ばれるお金の稼ぎ・使い方とは一体どんなものなのでしょうか。
神の基準を手に入れよ。されば必ず、正しく使わん。
神の喜ぶ金の使用は、己の欲望満たすになく、人の幸せ増させるために、見返り、報酬を求むることなく、人に捧げる思いやり。
なれど己の欲のため、己の所有、財産のため、人に与えることを惜しみ、与えらるるをのみ望むは、神は嫌いて、禊がんとさる。
『神誥記』ひふみともこ記
結婚式に招待されると、お祝いを包んでいきます。こうしたお金をケチることは良くないと昔から言われています。そして、人の幸せのために与えるお金は、いずれ巡り巡って自分のところに幸運がやってくるともいいます。
与えるお金といっても、「お金を貸して」と言われる場合はケース・バイ・ケース。貸して欲しいといった本人の動機も考慮し、断る勇気も必要です。
お金を貸して返らなかった場合。お金を借りた本人、貸した本人両方が禊がれるケースだと思います。お金に関しての学びが出来たことの感謝ができるようになれば、禊も軽くなります。
一方で、世界では資源の争奪戦が相変わらず行われていると伝え聞きます。人より多く、人より広く地上を支配し、独占しようとする愚かな考えは浅はかであることは既に明らかなのに利得権益の甘い汁を忘れられないのでしょうか。
私たちがこの世で修行を終えてあの世(たましいのふるさと)へ帰るときには、物質金銭は持って行くことができません。持って行くことができるのは、「経験と感動」のみ。
如何に多くのお金を貯め込んだかということではなく、如何に他人のために見返りを求めずお金を使ったかが重要となるのだと思います。
執着を取るような金銭の使い方とは?
人はどうしても金銭的なことで先行きに不安を抱えてしまいがちです。「この先、お金がなくなったらどうやって生活していけばよいのだろう。」と。
その将来への不安から、過度にお金に執着してしまい、お金の囚われの身になってしまうことが多いと思います。
お金への執着をとるにはどうしたらよいのでしょう。
それには、他人の喜びを願い、人の不幸を救うこと。他人のためにお金を稼ぎ、使うことです。でも物質金銭、見返りを求めてはいけない。そうすれば、心の囚われが外れ、金銭使う真の喜びは、金に換え得ぬ満足を得られます。
金銭を離れると執着が消え、心の束縛・呪縛が解ける。心が自由になる。思い残すこともなくて、真の価値基準を手に入れることができます。
結局はお金も「神ながら」でお任せし、決して見返りを期待せず、自分の仕事・役割に毎日がんばるべきなんでしょうね。
そして、神様の一番喜ばれる「自分のみの我欲ではなく人を幸せにする継続した奉仕」こそが、巡り巡ってお金として自らにもたらされるものなのかも知れません。
お金の執着を取ることは決して簡単なことではありませんが、これからも学びを続けていきたいと思います。