人間救済空間・立山!

立山まいりと地獄浄土3日間2014


 
〜立山曼荼羅・絵解きの世界へ〜
 
2014年8月29日(金)〜8月31日(日)


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日本人の死生観や道徳観が著しく混迷する現在、立山曼荼羅は大きな意味をもつように思う。なぜなら、この絵(立山曼荼羅)には山中他界観や地獄観、山中浄土観など日本人の死後世界観をはじめ、輪廻・転生の思想、神仏習合の思想、十王思想、密教、浄土宗、修験道など、先人が長い時間をかけて形成してきたさまざまな思想や宗教が、いわば知恵袋のごとく凝集して込められているからである。

『立山曼荼羅 絵解きと信仰の世界』福江充著 法藏館より


立山曼荼羅とは?

 立山曼荼羅は、今でこそ「立山曼荼羅」とよばれていますが、江戸時代の芦峅寺(あしくらじ)や岩峅寺(いわくらじ)の古い記録には、ほとんどの場合「後絵伝(ごえでん)」とか「有頼之由来立山御絵(ありよりのゆらいたてやまごえ)」などの言葉で表されています。芦峅寺や岩峅寺の衆徒(お坊さん)たちは、立山曼荼羅を、主に慈興上人(有頼)の立山開山説を中心に、その山岳信仰を絵解きによって布教するための絵図と考えていたと思われています。
 室堂から立山へのルート  弥陀ヶ原高原



 

立山信仰、立山曼荼羅、立山登拝・・・立山から日本の平和を祈るツアーです


こんにちは!ちいろば企画の榎本です。

今回初の立山ツアーを企画しました。立山は、日本三大霊山の一つ。

立山といえば、立山信仰、立山曼荼羅という、さまざまな日本にあった宗教が一体となって大人の宗教教育や子どもの道徳教育の教材として効果を発揮していましたが、今はこうした文化が廃れてしまいました。

ちいろば旅倶楽部のツアーで、立山信仰や立山曼荼羅が伝えようとしていることは何か?を知っていただくツアーを企画しました。

立山曼荼羅の絵の中でもとくに目を引くのは、立山地獄の場面。立山山中の地獄谷を、現世に存在する地獄の世界とみなしています。そしてそこに獄卒たちが亡者に加える激しい責め苦の描写は、見る人に強烈な印象を与えています。

しかし、ここからが立山の素晴らしいところ。

誰もが堕ちる恐怖の地獄世界に対し、立山山中に玉殿窟のように阿弥陀如来が顕現する聖地があり、立山連峰の浄土山かあるいはその背後のどこか遠い彼方に、救済の世界として極楽浄土が用意されています。

立山は自然の中で地獄と極楽といった仏教世界が一緒に体験できる世にも稀な「人間救済空間」なのです。

ただし立山も女人禁制の山でしたが、女性に対しては登山の代わりに山麓の芦峅寺で布橋大灌頂の法会を行って、極楽往生の願いをかなえていました。

こうした一連の内容は立山曼荼羅に描かれ、立山信仰を布教した立山衆徒(芦峅寺と岩峅寺衆徒)に絵解きされ、全国的に大変人気を集めたのだそうです。

また、立山の地獄谷で修行していた僧の前に、地獄に落ちた娘があらわれ、助けた話が平安時代の「今昔物語集」に書かれています。立山は地獄の山として知られていたんですね。

夏の立山は観光客であふれるシーズン。美しい山々を見るのにおすすめです。

立山の頂上まで登りますので、登山の準備が必要です。登山をしない方は別途ご相談下さい。

人数はシーズンの立山ということもあり、限定16名。
立山の地獄・極楽について学びながら、私たちの普段の生活や日常を見直す機会になるかもしれません。

皆様の参加を、心よりお待ちしております。

夏の美しい立山の風景を楽しみましょう!



「人間救済空間・立山!立山まいりと地獄浄土3日間2014」のポイント

日本最大霊山の一つ、「立山」登拝。頂上の立山雄山神社を参拝します
地獄谷巡りに行きます(通行止めの場合は上から眺めるだけになります)
立山博物館の展示館見学(教算坊や山岳集古未来館もご自由にどうぞ)
閻魔堂・布橋・うば堂基壇見学
遥望館では大型スクリーンで立山の歴史や信仰について学びます
雄山神社・中宮祈願殿(芦峅寺)参拝
雄山神社・前立社壇(岩峅寺)参拝
弥陀ヶ原で餓鬼の田んぼ等見学
法然ゆかりの称名滝へ
ミクリガ池・血の池・地獄谷へ
御皇城山(おみじんやま)皇祖皇太神宮参拝(竹内文書や超古代に世界の中心地?とも言われる)
宿泊は2名1室の相部屋利用となります。


こんなあなたにおすすめします!

日本三大霊山の一つ、立山に登拝に行きたい方
ある程度の脚力のある方(登れない方は下で待っていただくことになります。登山時間は室堂から片道2時間で長い距離ではありません。)登山レベルは中級の上です。
立山信仰の精神を学びたい方
 美しい山の姿が見られます  地元小学生たちが登っていました



立山開山縁起とは?

立山は自然のなかで地獄と浄土といった仏教世界が一緒に体験できる世にも稀な人間救済空間。そのような立山を、仏の阿弥陀如来のお告げによって開山したのが「佐伯有頼(さえきありより)」という人です。

文武天皇の大宝元年(701)、天皇は夢の中で阿弥陀如来から、「四条大納言の佐伯有若を越中国司に任じれば国歌は安穏である」と告げられる。そこで、天皇は夢から覚めると、すぐに有若を越中国司に任じた。

命を受けた有若と適男の有頼は、越中国の保伏山(現在の魚津市布施あたり)に移住。ある日、東南の方向から白鷹が飛んできて有若の拳に止まった。有若が喜んでその白鷹を育てる。ある日、有頼は父(有若)に頼んで白鷹を刈り、鷹狩りをした。しかし、そのうち白鷹は突然どこかに飛び去ってしまう。有頼はあちらこちらを探すが見つからない。

飛び去った鷹を求めて山中に入ると、があらわれ有頼に襲い掛かった。とっさに矢を射ると矢を受けた熊が山頂のほうに向かって逃げ、ついには山頂ちかくの洞窟に逃げ込む。洞窟(立山山中室堂に実在する洞穴)に入ると、そこには阿弥陀如来と観音菩薩、勢至菩薩の三尊の仏像が安置されていた。それらを拝んでよく見ると、阿弥陀如来の胸には自分が射た矢が刺さっていた。

すると、阿弥陀如来は有頼に「私は乱れた世の人々を救うために地獄や浄土などの世界をこの山に表して、おまえを待っていた。白鷹は劔山刀尾天神である。熊は私である。おまえは早く僧侶になり、立山を開くがよい」と告げた。

有頼はこの霊異に深く感動し涙を流した。そして慈興上人とよばれる立山の開山として仰がれるようになったという縁起です。

阿弥陀如来が現れたといわれる玉殿の岩屋



立山へ

その昔、立山には阿弥陀如来のあらわれる極楽浄土があり、立山に登ることで極楽浄土に生まれかわることができると信じられていました。そのため、立山に登ることを、立山まいりや立山禅定登山などといいました。

立山は、雄山、大汝山、富士の折立の三峰の総称で、雄山頂上には「雄山神社峰本社」があり、イザナギノミコトとダヂカラオノミコトが祀られています。ここからの眺望はすばらしく好天気には剱岳、白馬、白山、日本海、能登半島をはじめ、槍ヶ岳、穂高、遠くは富士山も見ることができます。


立山にある行くところ、見るところ 〜立山地獄について〜

称 名 滝 ミクリガ池
熊を追った有頼は、遥か遠くからなんともいえぬ滝の妙音を耳にし、大勢の人たちが称名念仏を唱えているようで心地よく、そのおかげで険しい坂もやすやすと登りおえた。坂を登りきると目の前がにわかに開け、ずっと向こうに大きな滝が見えた。天から落ちてきたような滝の神々しさに、有頼はひれ伏して拝んだ。その滝を称名滝といいます。立山山中のミクリガ池は江戸時代、寒の地獄(極寒の苦しみの世界)に見立てられていて、立山曼荼羅には、亡者が池の中に首まで浸かって、もがき苦しむ様子が描かれています。実際には池に立山がうつる美しい池です。
 
餓鬼の田んぼ 地 獄 谷
弥陀ヶ原には、池塘と呼ばれる小さな水溜りが点在します。人々の間では「餓鬼の田んぼ」と知られ、六道の餓鬼道に堕ちた餓鬼が、飢えを凌ぐために田植えしている場所と考えられ、ミヤマホタルイなどの植物は育つのですが、稲ではないので秋になっても実らない。それで餓鬼はいつまでも飢え続けるというもの。仏教の広まり、浸透に伴って日本ではその土着の他界観と仏教地獄観が交わり、霊魂の漂い鎮まる山中こそが、外来仏教の仏教が示す地獄のある場所だと信じられるようになりました。越中立山は山中に火山活動の影響で荒れ果てた景観があり、地獄を見出すには格好の場所でありました。立山山中の地獄谷、ミクリガ池、血の池などは、4万年前からたびたび起こった水蒸気爆発による爆裂火口であり、なかでも地獄谷(現在立ち入り禁止。展望台から見られます)では、火山ガスを噴出するイオウの塔、熱湯の返る池、至るところから噴気が見られ、また特有の臭いも相まって、不気味な谷間となっています。こうした特異で非日常的な景観が地獄の様子に見立てられ、立山地獄の信仰が生まれたものと考えられています。
玉殿の岩屋 
立山開山縁起の中で熊が阿弥陀如来に変身した場所で、神霊の再生する聖地といわれています。慈興上人は、阿弥陀如来のお告げを聞いたあと、ここで修行したといいます。石窟は単に雨露をしのげるだけでなく、聖なる力を得られる場所だったのです。
   
布 橋 閻 魔 堂
〜布橋〜
布橋は江戸時代、この世とあの世の境界と観念されていた。橋の各部分にが仏教思想に基づくさまざまな数字に合わせて作られており、それを渡った人々の罪は消滅するものと考えられていました。長さ25間は二十五菩薩、高さは13間は十三仏、幅9尺は九品浄土、桁数48本は阿弥陀如来の四十八願、敷板の数108枚は百八つの煩悩の数、あるいは数珠球の数、欄干の擬宝珠の数6個は「南無阿弥陀仏」の六字名号あるいは六地蔵菩薩等である。釘・鎹の数3万8千8本は法華経の文字数に合わせたという。

〜閻魔堂〜
芦峅寺村には南北朝時代までには十王信仰が流入し、深く根付いた。同村の閻魔堂には現在、同時代の成立とみられる木造閻魔王坐像・木造初江王坐像・木造泰山王坐像・木造司命王半跏像などが残されている(いずれも富山県指定文化財)

〜「布橋灌頂会」とは?〜
江戸時代、越中立山は山中に地獄や浄土がある「あの世」と考えられていました。男性はあの世の立山に入山することで擬似的に死者となり、地獄の責め苦に見立てられた厳しい禅定登山を行うことで、自分の罪を滅ぼして下山する。こうして新たな人格・生命に再生し、現世の安穏や死後の浄土往生が約束されました。しかし当時の立山は女人禁制の霊場でした。そこで江戸時代、毎年秋彼岸の中日に山麓の芦峅寺村では、男性の禅定登山と同義の儀礼として、村の閻魔堂・布橋・うば堂の宗教施設を舞台に、女性の浄土往生を願って「布橋灌頂会」と称する法会が開催されました。地元宿坊衆徒の主催により、全国から参集した女性参詣者は閻魔堂で懺悔の儀式を受け、次にこの世とあの世の境界の布橋を渡り、死後の世界に赴く。そこには立山山中に見立てられたうば堂(芦峅寺の人々の山の神を根源とするうば尊が祀られている)があり、堂内で天台系の儀式を受けました。こうして、全ての儀式に参加した女性は、受戒し血脈を授かり、男性のように死後の浄土往生が約束されました。このように江戸時代、女性の参詣者で賑わった布橋灌頂会も明治初年の神仏分離令、および廃仏毀釈の影響でうば堂や布橋がなくなり廃止されました。現在、うば堂の基壇が復元され、その前に遥望館が建っています。

遥望館の大型スクリーンで見る映像は、学びがあっておすすめです!閻魔さまが「もっとも恐ろしい場所に落とす」といったその場所とはどこでしょうか!?




立山信仰の拠点となった雄山神社三社とその他関連する聖地へ

 雄山神社前立社壇(岩峅寺) 峰本社(立山頂上)
霊峰立山山麓岩峅寺鎮座。御本殿は五間社流れ造りで室町中期の様式を示し、現在北陸最大。明治39年に国指定の重要文化財となっています。 海抜一万尺 3003メートル。北アルプス立山の主峰雄山の岩峰に鎮座。夏山シーズンには多くの登拝者でにぎわう。
 雄山神社中宮祈願殿(芦峅寺)  立山大宮
諸祭礼、諸祈願がここで行われます。明治維新までは根本中宮の講堂で維新後祈願殿と改称。両本殿主祭神をはじめ立山全山36末社の神々を合祀。 杉木立の奥にある本殿。主祭神はイザナギノミコト。
号 立山大権現雄山神。 本地 阿弥陀如来
相殿神に第42代文武天皇、佐伯有若公
  立山若宮   立山開山御廟
主祭神はアメノタヂカラオノミコト。号 刀尾天神剣岳神 本地 不動明王。相殿神に稲背入彦命がお祀りされています。
立山玉殿岩窟において霊示を受け立山を開山し、生涯を立山信仰の弘宣に捧げられた佐伯有頼公(出家して慈興と号す)が、天平宝宇3年6月7日83歳で入定された地と伝えられる。 



立山博物館へ

富山市から30キロ離れた立山山麓の芦峅寺に立地しています。立山の歴史と立山信仰、そしてその舞台となった立山の自然を紹介している博物館です。展示室・遥望館・まんだら遊苑・山岳集古未来館などの施設があります。私たちがツアーで訪れるときは特別企画展として「立山禅定名所案内−観光地・立山のルーツを探る」が行われる予定だそうです。



御皇城山(おみじんやま)皇祖皇太神宮参拝

現在神社は茨城県にあるようですが、竹内文書とかかわりのある神社とのことで、立山ツアーの最後に参拝に行きます。

世界統治の拠点!?天皇、皇后すべてがお祀りされているそうです。




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